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写真32
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 本丸から御前曲輪方向を見る。左に登ると御前曲輪。本丸より少し高くなっている。

 右に下ると写真28−3の虎口。

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本丸。現在は石碑や案内板が建てられていて、結構広い。

写真33
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本丸土塁上から南側の虎口を見下ろす。ここを通ろうとする敵は、この土塁上と、反対側の御前曲輪内からの攻撃に晒される。

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本丸土塁上から城道を見下ろす。井戸曲輪方向から侵入して来た敵を攻撃できる。

写真34
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本丸の土塁。

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 本丸土塁上から的場曲輪への虎口を見る。

 進路を屈曲させて枡形虎口となっている。この辺りに門が設置されていたはず。

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写真36
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本丸と的場曲輪の間の城道。左手は本丸が高まり、右手は谷に落ち込んでいる。

写真37
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的場曲輪から本丸方向を見る。本丸とは高低差がある。

左に下る道は石窟へ続く。

写真38
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 的場曲輪の虎口方向。

 案内板によると、この曲輪は弓矢の練習をした所で、砂利が敷き詰めてあったことから弾薬の保管場所とも考えられるとのこと。

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 高天神城には角の取れた丸い小石が多く転がっている。周辺の河原からでも運び上げたものかと思ったら、地山の地層に同様の丸い小石が多く含まれていた。おそらく土中に含まれるこれらの小石を利用したのだろう。古大井川の扇状地が隆起侵食されて出来た山地というのも納得。

写真39
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 石窟。徳川の将・大河内政局が幽閉されていたという場所。崩落の危険性があるのか、現在は土嚢で閉塞されている。どれくらいの奥行きがあるのだろう。

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 石窟から的場曲輪方向。

 右側は、搦手方向へ下る急な斜面であり、この場所が城郭中核に付随して厳重に防護された一角であったことが分かる。

写真40
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 本丸下の城道。斜面を削って急角度の切岸としている。右方に進むと三の丸に至る。

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