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 外曲輪のこの辺りはきれいに整備されており、大規模な土塁と堀の状況がよく分かる。

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 南側の外曲輪内には鉢形城歴史館が建てられている。昔は中学校の敷地だったらしい。

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 外曲輪のここの虎口は土塁が喰い違いになっていたようだが、北側の土塁は消滅してしまっている。現在、南側土塁の馬踏み部分が遊歩道になっていて、スロープが付けられている。

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 外曲輪外縁の土塁と堀。この堀の部分は昭和の頃までは水田になっていたらしく、浅くなっている。

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 北側外曲輪のこの辺りは畑になっていたようで、土塁は残っていない。低い石垣が積まれているが、当時の物ではなく農地化した時に作られた土留めのための物と思われる。

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 枯葉が溜まっている部分が堀。右手の深沢川に落ち込んでいる。

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 外曲輪から深沢川への城道。右に折れて下っている。

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 天然の堀である深沢川だが、この辺りは城内側が崖になっていないため、もし外曲輪が敵の手に落ちた場合、比較的容易に城内に攻め込まれてしまうだろう。

 現在、外曲輪との間には遊歩道の橋が架かっていて行き来することができる。

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 二の曲輪の東に突き出たこの曲輪は深沢川に面しているが、この辺りは川岸が低くなっていて断崖ではないため、このような巨大な土塁を築いて防御線としたのだろう。

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 二の曲輪東端に位置する一段低い曲輪からの虎口を見上げる。左の土塁に沿った急な坂虎口になっている

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 本曲輪と二の曲輪を繋ぐ土橋部分は現在道路になっていて遊歩道も作られているため、元の状態が分かりにくい。

 本曲輪土塁下の堀は当時もっと深くて広かったと思われる。

 曲輪内には推定樹齢150年の桜の古木があり、城主・北条氏邦にちなみ「氏邦桜」との愛称がつけられている。この桜があるためだろうか、この曲輪一帯はきれいに整備されている。

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 斜面には拳大の石が見える。当時は石積みが施されていたのだろうか。

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 現在歴史館が立っている外曲輪がある対岸へは遊歩道の橋が架けられている。

 上位の曲輪と土塁に囲まれた部分。写真71-1のとおり、川側には土塁がなく、コの字状に囲まれた空間になっている。

 奥に見える本曲輪の土塁との間には堀がある。

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