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写真80
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  出丸から本丸への通路。登ると金毘羅社の裏に出る。

写真81
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 写真80の地点から奥に下った出丸下の空間。正面の出丸と左の本丸の双方から攻撃できる。

 滝の曲輪からここに続く城道があり、この下には虎口があるが、藪になっていてよく分からない。防備が重厚なことから考えると、ここを経由する通路が滝の曲輪や搦手口からのメインルートだったのだろう。

写真82
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 出丸の土塁上から多摩川を望む。

写真83
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 馬出しから出丸への坂。当時も通路だったのだろうか。縄張り図ではただの斜面になっている。

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 馬出しから東へ伸びる土塁。滝の曲輪から登って来る通路に対する防備だろうか。

 この「馬出し」は滝の曲輪から登って来る城道を防御するためのものらしいが、この辺りは草木が生い茂っていて、フェンスに遮られ立ち入れない部分もあったりしてよく分からない。

 縄張り図を見ると虎口があるのだが、そこから滝の曲輪への通路が消滅しているらしく、描かれていない。この辺りは不明な点が多いが、現在遊歩道になっている写真78の坂道ではなく、こちらの出丸・馬出しルートが当時の城道なのだろう。

写真84
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 出丸西側の竪堀。このまま谷に落ち込んでいる。

写真85
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  本丸から推定木橋を渡り小宮曲輪北部へ登る通路。

写真86
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 小宮曲輪北端の枡形虎口を土塁上から見る。公式パンフレットのマップではこの先の堀に「絶対防衛ライン」を示す赤い点線が引かれている。

写真87
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 小宮曲輪北端の枡形虎口を内側から見る。

写真88
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 小宮曲輪北端の枡形虎口を外側から見る。本来の城道はこのルートなのだが、虎口外側の通路が狭いためか、現在の遊歩道は櫓台下の土塁を直進するように通っている。

写真89
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 山の神曲輪からの眺望。領民の避難場所だったというこの曲輪にも削平地と切岸が多く残っている。

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