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写真11

 名称不明の曲輪南側の堀底。

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 春に撮った写真では草木が繁茂して、よく分からない。滝山城は都やボランティアの方が定期的に草刈りをしてくれているらしいが、それでも自然の勢いが勝る。やっぱり土の城のシーズンは冬!

写真12
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 三の丸南東端から名称不明の曲輪南側の堀を見下ろす。

 この曲輪は公式マップにも名称が載っていないが、重要で広い曲輪なのにどうしてなのか。とりあえず「東三の丸」とでも呼びたい。

写真13
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 曲輪の斜面がきれいに残っている。

写真14
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 コの字型土橋の南の空堀。現在はもう浅くなってしまっている。

写真15
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 コの字型土橋上から見た写真14の堀。

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 当時の通路上に作られている遊歩道もカーブを描いている。

写真16
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 コの字型土橋は、両側が土塁状に盛り上がっている部分があるが、千畳敷上から攻撃することだけを考えたら無い方がいいように思える。土橋を進んで来る敵の視界を遮るためなのだろうか。

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 千畳敷からコの字型土橋を見下ろす。土橋全体を存分に攻撃できるようになっているのが分かる。

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 千畳敷南側の虎口。通路が丁字型になって直進を阻み、高低差があるので曲輪内部の様子も窺えない。

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 その名の通り広々とした曲輪。案内板によると、城内で一番広い平場で民衆が年貢を納めたりする役所があったとのこと。宴を催す会所があったとも言われる。現在はベンチが設置された広場になっている。

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 千畳敷北端から弁天池方向。

写真21
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 二の丸西側の虎口前に設けられた角馬出し。北側の土橋はきれいに残っているが、メインの登城路であったと思われる南側の土橋は舗装された遊歩道になっていて当時の状態から改変されているようだ。千畳敷との間の堀は幅が狭くて、浅くなっている。土塁が崩れて埋まったのだろうか。

写真22
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 御嶽神社の曲輪と名称不明の曲輪(仮称「東三の丸」)との間の空堀。両側とも急斜面が残っており、右側の仮称「東三の丸」の斜面が高くなっている。

 春先に撮影。

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 仮称「東三の丸」南側の空堀。

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 写真23の堀を逆方向から見る。曲輪に沿った堀の屈曲がよく分かる。

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 二の丸とその南側の細長い曲輪(行き止まりの曲輪)の間の堀。草木が茂っていない斜面が当時の状態を彷彿させる。この曲輪に入り込んだ敵は高所の二の丸からの攻撃に晒されて、なす術もないだろう。

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 外側から見ると、二の丸がかなりの高さであることが分かる。

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