top of page
52

 二の曲輪の復元土塁は基礎部分のみが低く復元されている。

 この土塁は全て盛り土によるものとの事だが、三の曲輪よりも高くする必要があるため、かなり大規模な普請だった事だろう。三の曲輪との高低差は約5メートルなので、土塁の高さは少なくとも6〜7メートルはあったと思われる

53

 三の曲輪の方がかなり高くなっているのが分かる。地理院地図で測ると両曲輪の現状の高低差は5メートル程。

54

 木が繁っている所が現在の城山稲荷神社。当時は櫓があったであろう。右手に伸びる土塁が参道になっている。

55

 二の曲輪上段から下段への虎口。端部に植栽されていて分かりやすくなっている。標柱には「通路」とある。

 城の中枢部に向かってだんだん低くなっていく。

56

 二の曲輪上段と下段は奥へ伸びるスロープで繋がっていたようだ。

 右の緑の植栽の向こうに、現在は道路になっている堀があって、その向こうが本曲輪。

57

 二の曲輪では掘立柱建物や鍛冶工房跡が発掘検出されている。二の曲輪も昭和時代には桑畑だったらしい。

58

 二の曲輪北側の土塁は、現在一部が城山稲荷神社の参道になっている。

bottom of page