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 復元四脚門前の植え込みの位置には蔀土居があったとのこと。

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 復元石積み土塁。

 伝秩父曲輪下の段も広い。この辺りも昭和時代には桑畑になっていたとのこと。

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 この辺りはきれいに復元整備されており、当時の雰囲気を感じることが出来る。

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 発掘調査で検出された石組排水溝も復元整備されている。

 植え込みの部分にも土塀があったと考えられている。

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 復元四脚門。発掘調査の結果に基づき「洛中洛外図屏風」を参考に復元したとのこと。

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 伝秩父曲輪中の段の復元井戸。当時は石組井戸だったとのこと。

 この辺りでは鍋などの生活用品が出土しており、日常生活の空間であったと考えられている。

 二つの川に挟まれているこの城は水の手には困らなかったことだろう。

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 伝秩父曲輪内の復元石積土塁。本格的な石垣を作る技術はなかったため、裏込めのない約1メートルの高さの石積みを階段状に重ねている。外側は普通の土塁だったようで、内側の見栄えを意識したのだろう。

 土塁に登るための雁木があった。

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 見学時、池跡は干上がっていた。昔の写真で見ると池はもっと大きく、底は粘土になっていて雨水を溜めた池だったとのこと。

 当時この辺りは庭園になっていて、池の周囲には礎石建物があったと考えられており、会所として機能していたらしい。

 復元建物。四脚門と同様に「洛中洛外図屏風」の細川邸を参考に復元されているとのこと。

 三の曲輪では16箇所の掘立建物跡が検出されている。

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 建物横に復元されている井戸も当時は石組井戸。

 三の曲輪北西端から荒川対岸を望む。遠方に花園城址が見える。

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