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 中の丸方向からの坂道を見下ろす。本丸からの攻撃に晒される坂。

 この下段の「L字広場」の曲輪に対する攻撃をかける場所でもあっただろう。

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 本丸南側の枡形虎口。ここには敷石があったらしい。

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 本丸内側から。土塁は低くなってしまっている。

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 土塁上には石碑が建てられている。

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 本丸の井戸。現在ではもう浅くなっている。

 奥の一段高くなっている部分にある霞神社への直通階段が作られているが、当時の通路は左側の階段。

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 中の丸からの橋を渡った、本丸東側の枡形虎口。橋も城道も現在より低い位置にあった。

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 発掘でみつかった敷石や排水溝などの遺構は保護のため埋め戻されて土の下にあるとのこと。コンクリートのタイルではなく、当時を復元した敷石にしてくれるとうれしい。

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 本丸内側から。

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 本丸最高部には金毘羅神社が建てられている。

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 本丸最高部から多摩川方向を見る。遠くまで見渡す事ができる。

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 大堀切の堀底道から本丸を見上げるとかなりの高度差がある。

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 堀底道から本丸最高部へ直登する神社参道の階段。川側の滝集落の人々によって建てられた神社なので、滝集落から往来しやすいこの場所に階段をぶち抜いたのだろう。当然、現役当時には階段は無かった訳で、逆に言えば階段が無ければ登れない急斜面だと言う事を示している。

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 滝の曲輪へ下る坂道。しかし、この通路に対する防御が手薄であり、出丸の方の防御が厚いところを見ると、この通路は当時使われておらず、大堀切は右側の谷へ落ち込んでいたのではないだろうか。

 遊歩道をすぐ右に下ると滝ヶ原運動場へ下りる事ができるが、かなりの高低差がある。

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 自然の谷が、絶対に登れそうにない天然の防塁になっている。草木が茂ってよく分からないがこの右上に通路が通っている。

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