top of page

滝山城

1 概要

 滝山城は永禄10年(1567年)頃までに、北条氏4代目当主・氏政の弟である北条氏照が築城し、それまでの居城・浄福寺城から本拠を移して武蔵多摩地域の支配の拠点とした城である。高月城の大石氏によって築かれた城を改修したという説もある。

 永禄4年(1561年)、越後から遠征して来た長尾景虎(上杉謙信)によって、関東の北条領が侵攻を受け、本拠である小田原城も包囲されたことから、小田原の防御を厚くするために多摩川の渡河地点に近いこの場所に築城された。また多摩川、秋川の合流点に位置しており、河川交通を押さえるにも適地であった。

 永禄12年(1569年)、甲斐の武田信玄が上野経由で武蔵に侵攻した。この時、別働隊として岩殿城の小山田信茂が小仏峠を越えて滝山城に侵攻して来た。小仏峠からの侵攻は予想外のルートであったため、防備が手薄になっていた滝山城は三の丸まで攻め込まれたが、寡兵でなんとかこれを撃退することに成功した。この戦訓から、甲斐方面からの攻撃に対する防衛が重視されるようになり、小仏峠と和田峠の守備に適した場所に八王子城を新たに築城し、氏照は滝山城から八王子城へと本拠を移した。それに伴い城下町も移転し、滝山城は領域支配の中心としての役割を終えた。

※ 当ページの主な参考文献・Webサイト:『村人の城・戦国大名の城』(中田正光)、『よみがえる滝山城』(NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会)、『Wikipedia』

2 所在地・見学情報

 滝山城址は東京都八王子市高月町に所在し、城址の大部分が滝山自然公園となっている。遊歩道や説明板が整備され、定期的に草刈りが行われるなど管理が良好で、パンフレットも常設されているなど、とても見学しやすくなっている。城の規模は大きく、堀や土塁などの遺構がよく残っていて見応えがある。

 バス停滝山城址下」下車すぐ。駐車場は、大手側の滝山観光駐車場、搦手側の滝ヶ原運動場駐車場が利用可能。

 ちなみに、近場の温浴施設は、戸吹湯ったり館(八王子市戸吹町1798)。温泉ではないものの、露天風呂、泡風呂、サウナなどが充実して気持ちの良い湯。

3 立地

滝山城地形図6.jpg

 長尾景虎(上杉謙信)が小田原城を包囲した時点では滝山城はまだなかったと考えられている。謙信越山を受け、上野から相模に至るルートの防衛を強化する必要に迫られ、武蔵の南西部に滝山城が築城された。

 武田信玄の侵攻当時、小仏峠も和田峠も街道は整備されておらず間道程度のものであったため、甲斐方面に対する防御はそれほど重視されていなかった。そのため、小仏峠からの小山田隊の侵攻は奇襲のような形となったが、北条氏も小仏峠か和田峠からの武田勢の侵入を直前に察知したらしく、岩槻城から増援部隊を差し向けてはいる。

 小仏峠からの侵攻を経て、さらに武田氏に代わって甲斐を領した織田氏、豊臣氏の勢力伸長を受け、甲斐方面への防御が本格的に考慮されて、八王子城が築城されるに至った。

 滝山城は謙信の侵攻を契機に生まれ、信玄の侵攻を契機に引退した城と言えるのではないだろうか。

滝山城地形図5.jpg

 甲斐方向を俯瞰した滝山城周辺の地図。古甲州道と古川越道の交差点、多摩川の渡河地点である平の渡し、多摩川と秋川の合流点といった交通の要衝近くに滝山城は位置しており、滝山城を中心とした支城網が形成されていた。

 滝山城に代わる拠点として築城された八王子城は旧甲州街道と陣馬街道を扼する場所に位置しており、甲州への備えを重視して築かれたことが窺える。

滝山城地形図1.jpg

 滝山城と近隣の城の位置関係。根小屋城が古甲州道を、浄福寺城が陣馬街道を、初沢城(椚田城)が旧甲州街道を押さえる位置にあり、滝山城及び八王子城の支城としてこの領域でネットワークを形成していた。

滝山城地形図3.jpg

 滝山城を東方向から俯瞰した地図。東西に長く伸びた加住丘陵の上に築かれており、北面は多摩川に侵食された急峻な崖によって守られているのが分かる。南面には多くの谷が入り組んでおり、東西にかけて自然の谷と堀切や空堀を構築することで防御している。

 図の高さ方向の倍率は2倍。

滝山城地形図4.jpg

 北方向からの俯瞰図。高月城がすぐ間近にある。以前は、氏照は高月城から滝山城に移ったと考えられていたというのも分かる気がする。こうして見ると、滝山城を新築しなくても高月城を拡張しても良かったんじゃないのかと思ってしまうくらい、高月城は地形的にいい位置にあるように見える。

滝山城地形図2.jpg

 断面図。縦横比は5倍。多摩川からの比高は約70m。実際に河川敷から登城してみるとその急峻さがよく分かる。

4 縄張り

縄張り図
滝山城縄張り図2.jpg

 滝山城縄張りの概略図。実に広大で複雑な縄張りのため、完全に描くのは私のような素人には困難。『滝山城城攻めマップ』によると、当城の特徴は「二の丸の集中防御」であり、各虎口に馬出しを設けて堅固な作りとなっている点。武田の大軍に三の丸まで攻め込まれながらも、寡兵で守り抜けたというのも納得。北側は崖が天然の防塁となっており、南側の自然の谷を利用しながら周囲に空堀を巡らせている。山の神曲輪は敵襲の際に周辺の領民が逃げ込む場所であったとのこと。

bottom of page