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 主郭西方の曲輪にも石垣に使用されていたと思われる石が点在している。意外に大きいことに気づいた…。

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 主郭北側の崩れた石垣。初期の石垣なので、関東の中世城郭にあるような両手で持てるくらいの小さい石を積んだのだろうと思っていたら、その石の大きさに驚かされた。最大で2トン程の大石を使用して、3メートル近い高さの部分もあったとのこと。

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 北側に残っている石垣。大きな野面石を積んでいる。周辺には出土した裏込石が大量に積まれて保存してあり、斜面に石を並べた見せかけの石積みなどではなく、本格的な石垣であったことが分かる。

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 主郭西側の虎口を見上げる。この石段は資料館建設時に作ったものと思われる。

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 主郭南側にも大きな石がゴロゴロしている。当時この斜面の大部分が立派な石垣になっていたのだろう。

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 主郭南側の虎口上から。手前の矢穴がある石は、昭和に入って小牧山を寄贈した尾張徳川家当主・徳川義親の銅像の台座。装飾なのだろうが、残念石みたいな様相である。

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 主郭には、国宝・飛雲閣をモデルにしたという小牧市歴史館が建つ。個人の寄付によって建てられたというのは驚きだが、なぜ飛雲閣なのかが気になるところ。

 築城当時には望楼を載せた建造物があったと推定されている。

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 歴史館の上から北西を眺めると、岐阜城のある金華山を遠望できる。信長もここから稲葉山城を眺めてその攻略策を練ったのだろうか。

 時間の関係上、城全体をじっくり見学できなかったのは残念であった。

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